「叩く」ということ

プロパノータ wrote

先日、工房に来てくれた方が、ウチにある太鼓で遊んだ後に言っていたことがあります。

 

『大きな音で叩くことが、瞬間的ににいけないことだと感じた』

 

これはとっても重要なことだと思います。

 

我々は現代に生きていると思い込んでおりますが、その中身は原始時代の記憶に基づいているそうです(遺伝子的にね)。

当時、人間がマンモスなどを追いかけ回していた時、仕留めた際の喜びは、それはそれはデカかったであろうと容易に想像がつきますよね。

その喜びは「叫んだり」「歌ったり」「何かを叩いたり」して感情をあらわにしていたのではないでしょうか。。。

 

今でも嬉しい時や悔しい時には手を叩いたりしますよね。

 

つまり「叩く」という行為は人間にとって、とても原初的で当たり前の行為だということです。

 

小さな子供達は何かを叩いたりすることが大好きなことを見てもわかると思います。

 

ところが、家で何かを叩いていたら「叩いちゃダメですよ」「うるさいからやめなさい」と叱られることが普通ではないでしょうか。

同じような原初的な行為の「歌う」「踊る」はまだカワイラシイから喝采を浴びるかもしれませんけれど。。。。

 

本来「叩く」ことは、誰でも簡単に出来る「感情表現の手段の一つ」だと思いますが、それをするたびに叱られていたら、

「叩く=ダメなこと」との認識が出来てしまっているかもしれません。

そうして「叩く」という、音楽的にもとても簡単なことが難しくなっているんじゃないかなぁと、自分では思っています。

 

もっとも、「叩く」ことは簡単だけれども普段そんなことをしないから「音楽的に叩く」ということは、ちょっと難しいと思います。

これは「リズムに乗って叩くとか」「テンポを一定に保つ」ってことネ。

 

そりゃ、当然です。

 

例えるなら100m走ることは可能だけれども、全力で走り抜けるとしたら、普段走ることのない人にすれば大変なことですよね(ワシにはムリ)。

100mはキツくても、10mだったら全力で走れるかもしれない(ワシでも出来るカモ)。

 

「叩く」ことも似たようなもんだと思っています。

 

複雑なリズムでもゆっくりやればそんなには難しくないかもしれませんね。それをいきなりある一定のリズムでテンポも狂わずに3分やるのは無理じゃないかな(10秒くらいはで出来るかもしれないけど)。

 

これは単に「慣れ」と「訓練」の問題で難易度の問題ではないと思っています(100mを9秒で走ったり、超絶ドラマーのようには「慣れ」ではなれないでしょうが)。

 

ヘタクソでも歌を歌うことは気持ちがいいことでしょう。同様に「踊る」ことも楽しいはずです(世界各地で古来よりダンスパーティは男女が出合う大きな場ですしね)。

ただ「踊り」はどう踊っていいのかわからんから、ちぃとハードル高いけど(ワシには)。

 

で、あるならば「叩く」こともとっても気持が良くて楽しいに違いない!

 

でも子供時分からの「叩く=怒られる」記憶が定着してしまえば、やっぱりそれはオモシロクないし楽しめない。

大部分の人がそうなっていると思いますよ(別に生死に関係ないし、悪いとは全く思いませんが)。

 

もし何らかのきっかけで「叩く」ことがおもしろくて気持ちがいいと感じた人は「ラッキー」ってことだけかも。

何も考えずに叩いて「ポ~ン」だの「ド~ン」だの、「ワァ~オ」と思えるような音が出れば、それは気持ちがエェですよね。

んでもって、叩いて楽しい、羽目を外して楽しめるかどうかは本人が「心のハードルを解除できるかどうか」に尽きると思います。

(でもコレが一番難しいダヨね・・・)

 

「叩く」なんてきっと単純です。